独り言

アンドレアス・ドーマンのこと  

 

 初めて会ったのは俺がドイツのメールスニュージャズフェスティバルに初出演した時の事だ。メールスフェスは日本のジャズ誌がその実体をひた隠しにしてきたヨーロッパ最大級のフェスだ。メインステージはヨーロッパ最大のサーカス用テントで1万人を収容する。俺のジャズ屋としての最終目標でもあった。1996年の事だ。 

 メインステージでの演奏後、そでで聴いていてくれたアンドリュー・シリルに握手で迎えられたりして、俺はご機嫌。外の芝生でお客さん達とビールをやっていると、楽器をやっているという若者達が俺のまわりに集まって来た。やつはその中の一人だった。

 ギターのなんとか君とアンドレアスが特に熱心に話し掛けてくる。俺は「まあ、とにかくビール呑もうぜ」て感じ。言葉もよく解らんし。特にアンドレアスが熱心なので「んじゃアドレスよこしな、日本から何か送ってやるよ」て事になり、以来手紙による文通が始まった。 

 アンドレアスは毎年テントを持ってメールスにやって来るのだという、それというのもメールスフェスは広大な公園で開催されるため客はテント村を作って3日間を暮らすのだ。その規模は5万人に達する。 

 以後、俺のCDが出る度に送ったり、俺がドイツに行けば会って呑んだり、やつが音大のためにベルリンに住むようになってからはアパートまで遊びに行ったり、スポーツバーでサッカーの観戦をさせられたりした。 

 ドイツには兵役制度がある。アンドレアスも大変だなあ、と思っていたら、女性教官と何やらあったらしく、心配して損したぜ、まったく。ドイツ軍て良いかもな~。  

 数年前に音大を卒業、いきなり卒業論文を送り付けてきた。タイトルを見てビックリ!「日本の戦後ジャズについて」さらにビックリは第1ページ目、「これを大沼志朗に捧げる」 そんな大それたもの捧げるなー!

 ドイツ語なので本文は読めないが資料として聴いた音源のリストが載っていて、それが驚き。あらゆる日本のジャズと言っても良い程で“淡谷のり子”なんかもあるくらいだ。大学にそれ程の資料があるのだとすればドイツは凄い。 

 2006年、ついに日本に来たいと言ってきた。俺は「良いんじゃないの~、俺の家に居候すれば~」 

 楽器はバリトンサックスとバスクラの持ち替えだ。バリトンをやっているのは知っていたけどとにかく低音が好きなんだな。この2本の手持ちは日本人にはかなりきついが190cmあるアンドレアスは軽々だ。何がしかの録音は聴いた事はあったが生音、まして共演するのは初めてだ。しかし音を出してみると、さすがにベルリンで楽器で暮らしているだけあって上手い。俺としてはバスクラの方が良いかなーと思ったりした。初共演したアンドレアスは俺の事を“サムライドラマー”と言っていた。 

 2007年は飛行機会社の関係で楽器は1本しか持って行けないと言ってきた。俺は「どちらでも好きな方を持ってくれば良いよ」やつが選んだのはバスクラだった。だと思ったぜ。バスクラ1本勝負、、、昨年より演奏が良いぜアンドレアス。この年は京都のゲストハウスを調べてやって一人で行かせたりした。 

 2008年、3回目の日本での演奏。 

期待しているぜアンドレアス!