ロシアン日記

 

Nov. 02 成田集合

 例によって高橋君が遅刻。板倉さんのバカみたいな量の荷物に驚く。「お引越しですか?」アエロフロートはすいていてOK。飲んで寝て、寝て飲んですぐにモスクワに着いた。迎えのおっさんの運転におどろく。あんたF1のつもり?全部の車をぬく。駅。何が何だか分からずポーターの兄さんにまかす。これがまちがい。この兄さんのおかげでホームまで行けたが、チップを200よこせと言う。ルーブルでなくドルで。これも板倉さんの荷のおかげ。俺は何も口を出さずに見ていた。500ルーブルで話がついた。1ルーブル4円位。ビュッフェで一杯やっつけて寝ようとしたら、何やら久々の英語。しかもJA ZZの話をしてるさばけた兄さん。ウォッカをおごってもらって話してたら、なんとマイク・エリスだった。同じホテルに向かう。シングルだけどベッドも広くて熱いシャワーがなんとも助かる。

 

Nov. 03 クルスク

 キャップ&サングラスで街を歩いていたらおばちゃんに時間をきかれて時計を見せたら「スパシーバ」だった。メシはレストランで食わせてくれるのでなかなか美味い。しかしホテルのフロントでも英語が通じないって。俺は部屋番をバックステージパスの裏に書いておいて見せることにした。426。初回ライブは音楽学校のステージ。ロシアントリオ、俺達、マイクバンド&ジャム。客は全部学生らしく俺達が一番うけた。夕食後マイクと呑もうと町に出たが何もなく、鉄格子ごしにウォッカを買ってマイクの部屋で呑み。アメリカン野郎、部屋のそうじをしろ!タイコは緑色のラディックちゃん20インチ。タムは10, 12のみ。明日もよろしくね。

 

Nov. 04

 毎日行くレストラン。俺のお気に入りのウェイトレスはガンガ。ミニスカートがすてき。ライブは昼夜のダブルヘッダー。昼は小ホール。インドネシア製ヤマハのタイコがちょっと悲しかった。夜は大ホール。どっかから来た学生のビッグバンドが二時間以上演りやがってまいった。ニューヨークから来たギタートリオも出演したけどなんだか金のにおいしかしなくていやだった。今日からマイクに入ってもらうことになり、楽しんだ。何かを分かってるやつだ。特に夜の部の演奏が良かった。

 

Nov. 05

Off。スーパーに買い出し。ビールは25位、ウォッカが100。100円に400円だ。しこたま買う。ロシアンビールが美味い。大ホールにマイクのバンドが出演するのでビールを差し入れる。ホテルでビール飲んでテレビつけていたら、いきなり俺が映ったのでおどろいた。ロシアでのJazzのあつかいはかなり良いんだと思う。Jazz文化が始まったばかりという感じ。8年前とあまり変わってないかも。そういえば昨日は町で女の子にサインを求められたっけ。昨日のホールのガードのお兄さんも演奏前はこわかったのに後はにこにこで話しかけてきた。何を言ってるのかわからないけど。コンサート後打ち上げ。シャンパン→ウォッカ。ロシアンかわいこちゃんとメール交換。カメラマンの福島さんは俺が女の子と話してると決まって割り込んでくるんだよなあ。マイクはにやにやして見てるだけなのに。ベースのニコライさん、ドラムのオレグさんと仲良しになった。打ち上げでは少しタイコ叩いたけど、立ち上がろうとしたらそのままこけた。ウォッカ要注意!!

 

Nov. 06

Off。観光。ロシアツアーは観光させてくれるのはありがたいけど、いつも教会がらみ。今日も700年前に出来た聖なる水がわく教会へ。俺はもっと「俗」な所が良いんだけどなあ。夕食後、マイクがカモンと言うので行ってみると、ロシアンマフィアの宴会。しこたまウォッカをつがれる。マイクは慣れたもので、最後のころは呑まずに陰で捨てていた。日本でも飲めないときに着物のたもとに酒を捨てていたと聞いたのを思い出した。ところでマイク、なんとも博識なやつで、「ありがとう」の語源。「ハイドーモ」は香港で「くまもと」はケニヤではとんでもなくいやらしい言葉になることなんかをおそわった。「ハイドーモくまもと」「ギャハハハッ」と呑んだ。三島由紀夫は全部読んだらしい。「ノーセップク」だと。

 

Nov. 07

クルスク→ボロネシ。マイクロバスで四時間。何もない大地をガタガタ移動。北海道なんか狭いぜって感じ。大好きなベースのニコライさんが「一緒に演奏したい」と俺に言って来た。ハラショー!!日本組は演奏なし。コンサート前半を客と一緒に見たが、毎日曲も同じでつまんない。楽屋でごろごろしていたら、同じホール内にあるバラライカのバンドの兄さんが演奏してやるから来いというので、事務所みたいなところに行くと、酒もあって呑め呑め。この演奏がすごくて、恐れ入りました。昔ロシアの曲が日本で流行ったのが良くわかる。

 パーティーではニコライさんとじっくりお話が出来てうれしかった。妻一人娘一人。 2ルームのお家で家賃は月2000ルーブル。アルハンゲリスク。ボロネシのホテルはきれいだけど何かが変。バスルームではcoldからお湯が出る。もちろん水はhotから。かざりのタイルは鶴に松に月。こりゃ花札だぜ。改装スタッフを日本に送ったに違いない。

 

Nov. 08

二手に分かれて、居残り組でコンサート。ニューヨークトリオ、俺達、デイビッド(フリューゲル、バイオリン、ピアノ)バンド&ジャム。それにしてもUSトリオはつまらない。ジャムのときもタイコのヤロー、他のタイコとかわりもしねえ。いつかしめてやる。USのメインストリームのくだらなさが良くわかる。ブレイスやブルースと生きる世界(音楽)が違うのだ。もっともやつらのは音楽とは俺は考えてないが。演奏後女の子6~7人に囲まれてサイン会。日本じゃ考えられない。リハーサルのとき、ニコライが近くに居たので、一緒に演ってみた。やっぱり良いベースだった。タイコはブルーのラディック。20, 12, 16. あんまりかわいくない子。使い回しなのでチューニングできないのがつらいけど、皆が13をはずしていたのが助かった。タイコは3点だぜ。それにしてもアホのマイクが居ないのがさびしい。

 

Nov. 09

ボロネシ→リペツク 楽器車にすし詰めで2時間。ニコライのロシア語講座。ダイチェ パジャルスタ ピーヴァでビールをください。リペツクは美しい町だ。ニコライのお母さんが住んでいる。今日はリトアニアのバンドが加わった。バンマスのBassには8年前ビリニュスのフェスで会った。カールした金髪で以前はなんてかっこいい人なんだろうと思ったが、けっこうおっさんになっていた。人のことは言えないか。演奏後大型バスで駅へ。ホームにはニコライのお母さんが差し入れをもって待っていた。息子がかわいくてしょうがないといった感じのロシアンおばちゃん。ニコライが俺を日本の友達だと紹介してくれた。お母さんは一人暮らしらしい。つかの間の再会だ。モスクワに向かって10時間の夜汽車。今日のタイコはかなり古い日本製ヤマハのクリーム色。まあまあかな。

 

Nov. 10

午前10時位にモスクワ着。駅でばらけて日本組はホテルへ。8年前に泊まったホテルだ。チェックインに1時間かかった。モスクワはいやな町だぜ。美人も少ないし。4時にチェックアウトしてDOMへ。今回のツアーではじめて民間の文化のにおいのする所だ。やさしかったニックのことを想い出す。初めてのワンマンなので、思いきりチューニングした。しかしセットは台湾製ラディックの緑で楽器を作ろうという気持ちがまったく感じられない物だった。インドネシアに続く悲しみを味わった。板倉さんはこのツアーのくせで20分で1ステージ目終わっちゃうし、高橋君は他のバンドの悪い影響でふぬけになっているしで、立て直すのに苦労した。年寄りと若者、気合入れろ!!!!!演奏後話しかけてくれた人は、なんとあのナジャだった。良い感じに歳をとっていて、昔より美しいかも。8年前のツアーのとき俺が片想いした人だ。今月は東京でも会える。 DOM FES. TOKYO。夜汽車のため駅へ。ツアーボケの福島さんのおかげであやうく乗り遅れるところだった。最後に高橋君が乗ったときはもう列車は動いていた。やっとの思いでコンパートメントについて荷物を入れているとシーツセットを持ってきた奴が金をよこせと言う。なんだと!シーツセットをつっかえす。モスクワはそういう所だ。

 

Nov. 11

午前9時サンクトペテルブルグ着。昨日のシーツ野郎に何やらいやみを言われながら下車、ホテルへ。ロビーでニコライに会った。何だかほっとした。彼は一人で居ることが多い。例のニューヨークトリオのベースもやらされているので、それもわかるが。この数日俺も一人になりたいと思うことが多い。ニコライとかってにバンド作っちゃおうかな。それにしてもボロネシの花札ホテルでひいた風邪がなおらない。フトンかぶっても寒かったからなあ。コンサートはデイビッドがボスのジャズクラブ。クラブというよりはホールだ。凝りまくった場所だが。昔のUSにあこがれただけの事。メシ食ったのはクラブ内にあるエリントンルーム。ケッ。おどろいたのはタイコ。Old台湾製パール。おそらく良い時期のパールの職人が台湾で教えたのだと思うが、すばらしかった。しかもドラマーがちゃんとメンテナンスしている感じ。きっと今日PAをやってくれたひげのおっさんだと思う。ベージュのしたじきだったけど貴婦人だったな、あれは。このツアーNo .1。俺が一番に着いたから俺のチューニングで演った。エリントンルームで打ち上げて又も夜汽車のために駅へ。

 

Nov. 12

朝6時トベリ着。ホテルへ。古いホテルだがバスタブ有り。久々に湯につかった。やはり田舎の方が良い。人がやさしい。ホテルのおばちゃんが良くしてくれる。昨日のタイコはデイビッドバンドのドラマーのだとわかった。この人は楽器の趣味が良い。フラットトップKをほめたら、こいつは俺のワイフだとかえしてきた。ロシアンおやじも言うもんだ。 コンサートはまったく立派なホール。クラシック用なので音がモコモコだ。このシリーズの山場らしく全部のバンドが出演。アホのマイク、アホのデンマークメス、アホのスウェーデンピーター。うれしくて抱き合った。8時にはじまって終わりは午前3時位。客は最後までいっぱいだった。これがロシアのジャズフェスだ。演奏後Barで呑んでたら、例によって宴会になった。いろんな人達と呑んだ。そんな中で人妻オルガに俺はほれてしまった。ステージでもらった花束をオルガにあげた。でもそれっきり。チェッ。

 タイコ。ついに出たAmati。8年前にも苦しめられたチェコ製のくそがきだ。チューニングキーが5角から4角になっていたが普通のキーでは入らない。タムはソナー糸になっていたが、ソナーのキーではなかなかむずかしかった。世界をなめているメーカーだ。今日のステージでは演奏中にハイハットスタンドがぶち切れた。作っている人は何を作っているのか知らないんだと思う。ここのおんぼろホテルは大好きだ。トイレのタンクを修理したりして楽しんだ。明日は又モスクワかと思うと気が重い。

 

Nov. 13

トベリ→モスクワ 大型バスで4時間。たらたら走りやがっていらつくぜまったく。マイクとビールを呑んでた。ライブはモスクワ1の有名クラブ。「ル・クラブ」おしゃれな所。ブルーノートみたい、って行ったことないけど。おしゃれな空気を引き裂いてやった。タイコはなんとグレッチだった。でもあんまりうれしくなかった。あんたはこんな所に居ない方が良い。演奏後バスへ。そのまま移動。バス宴会。スウェーデンドラムのピーターがシロウ、シロウ!とうるさい。明日はついに最終日。がんばろう。

 

Nov. 14

リャザニ。今日は最終だからいろんな人と演りたくて、全部の国の楽屋を回って、もしいっしょに演りたいなら入ってくれと言った。マイク、ニコライはもちろんだけど、ギターのメスとも演りたかった。結局、演ったのは板倉、高橋、俺、マイク、ニコライ、メス、オレグ、ピーター、リトアニアのペット。オーガナイザーのビンスケビッチは俺みたいなやり方が大嫌いだ。そでで見ている顔がいやそうだった。今回、Free系は俺達だけだったが、ビンスケビッチの意識が変わらなければロシアジャズフェスに自由な未来は無い。

 タイコはわりとかわいいブラックソナー。でもドラムイスが無くて、パイプイスを重ねて演った。まったくなあ。ニューヨークトリオのドラムもオレグというんだけど、そんなにいやな奴じゃなかった。ただタイコが叩きたいだけの金持ちのボンボンだった。ル・クラブはオレグのお兄さんがもっているらしい。ロシアンお金持ちのボンがニューヨークで遊んでいるのだ。最後の方は俺のチューニングを興味深そうに見ていたりした。いやな奴が一人も居なくなっちゃった。やつらともうちょっと一緒に居たい気になってしまう。長居は出来ない、わかれがつらい。

 

Nov. 15

マイクロバスで空港へ。4時間、板倉さんがチケットをなくしたと言い出した。結局みつかったけどトホホなおやじだ。空港では福島さんがオーバーウェイトを払いたくないと言い出した。いったい何を考えてるんだ、帰れねえじゃねえか。払って何とか乗り込んだ。だいたいそのコンテナみたいなスーツケースは何だ。カメラマンがカメラバッグを手持ちしないで何だってんだ。俺にはわからない人種だ。

 10時間のフライト。夜8時に出て日本に着くのは昼だ。時差6時間。

 早く帰って家の風呂に入ろう。

5年ぶりの海外。今回は充分楽しんだし、ちゃんと仕事も出来たと思う。リトアニアバンドは明らかに俺達を恐怖していたが、最終日にペットがFree出来ないのに入ってくれたり、ちょっとは心をとかせたかも。こうやっていっしょに自由になって行きたいものだ。